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事務局だより ~緊急支援について~
みなさん、こんにちは。広報担当の熊野です。
暑い日が続きますが体調など崩していませんか?九州、中国地方の豪雨や東京では夕方なぜか晩夏に鳴くはずのカナカナの声が聞こえたり、今までとは違う気候の変化を肌で感じるような気がします。

世界の医療団は名前の示すとおり、医療チームを被災地等に派遣することを主な活動としていますが、気候変動とも無縁ではありません。というのも、こういった気候による被害が年々甚大化する傾向があるなかで、一番先に影響を受け、最も被害を被るのが社会の中で弱い立場にある途上国の子どもや女性たちだからです。私たちの支援チームはまさにその人たちへの支援を行ないます。そしてこのような支援には現地スタッフとの協力も不可欠です。

2008年5月にミャンマーのサイクロン被災者への救援などはまさに、そのひとつの例です。

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(c)REUTERS Stringer

世界の医療団はもともと最大都市ヤンゴンにHIV/エイズの患者への治療及び予防のミッションを展開していました。サイクロンの被害が発生した際、ミャンマーの政治的な事情から海外からの支援団体の入国が難しいという状況のなか、世界の医療団はヤンゴンにすでにいたHIV/エイズの対策ミッションのチームが急遽、緊急支援へ切り替えて対応するとともに、フランスからの支援物資の受取りも成功しました。

またミャンマー国内での外国籍の人の移動が制限されていたので、現地スタッフにイラワジ川河口デルタ地帯へ移動してもらい、遠隔で指示を出しながら被災者の救援にあたりました。

この現地スタッフや派遣ボランティアの活動を支えているのは、日本の企業や個人のみなさんをはじめとするみなさまからのご支援です。被害が伝えられて間もなく、企業や個人のみなさまからご寄付の方法についての問合せを頂戴しました。

メディアを通じて目の前で起こっているわけではない様々なことを知り、会ったことのない、またおそらく会うこともない人たちを助けていく。 日本に住む私たちが持つ力は大きなインパクトとなります。

保健・衛生面のみならず、すでに多くの問題を抱えている地域にさらに追い討ちをかけるような自然災害。これに対処していくには、その現場にいる人たちのみならず、多くの人々の協力が必要です。1995年の阪神・淡路大震災の際には、世界の医療団フランスから緊急支援チームが来日しました。これをきっかけとして世界の医療団日本は設立されました。みなさん、ご存じでしたか?
今度はみなさんとともに世界で起こるさまざまな問題へ取り組んでいきたいと思っています。

※次回はアドボカシーについてお話します。


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2009/07/31(Fri) | 事務局より | トラックバック(-) | コメント(0) | page top↑
世界の医療団元会長 ピエール・ミケレッティ氏 インタビュー続き
先週に続き世界の医療団元会長のピエール・ミケレッティ氏のインタビューです。

先週は人道支援の脱西欧化について話していましたが…

―― 確かに「人道支援の脱西欧化」は理想的かもしれません。でもそれは現実的になかなか難しいのではないでしょうか?例えばフランスでは人道支援の活動に参加するための休暇というものが認められています(“Le congé humanitaire”)。しかし、日本ではそのようなシステムはありませんし、日本からボランティアとして参加している医師たちは人道支援でキャリアを積むことは出来ないと言っています。このことについてどうお考えですか?
 
 世界が変わっているのですから、日本も変わるべきではないでしょうか(笑)もしかしたら今の若者の世代が少しずつ日本社会を変えていくのかも知れません。若者が積極的で、政治的な問題に関心を示せば、社会は変わります。多くの人々が関われば制度は変わっていくものです。

―― 連帯感とでも言うべきものでしょうか?

 そうですね。日本とフランスの大きな違いと言えば、フランスには国外で働く、国外に関心を持つと言うことにおいて歴史があり、文化があると言うことです。植民地を持っていたフランスはその植民地がどういった状況にあるのか、と言うことにおいて情報を得ることが昔から出来たのです。一方でこういった歴史は日本にはありません。あえて挑発するような言い方をすれば、日本は多くのものを輸出しているのですから、今後はモノ以外のものも輸出すべきではないか、ということになりますね。笑

―― 世界の医療団日本支部に対する期待などはありますか?

 現在、日本支部は世界の医療団本部が利用できるもの、という見方が出来ると思いますが、今後は大きな権限を持つ代表団的な存在になってくれるよう望んでいます。NGOの脱西欧化を実現するためには欧米以外の国での代表団が非常に重要な存在になっていくのです。

―― ミケレッティさんは日本人医師らと働いたことはありますか?一緒に働いてみて何か思ったことはありますか?
 
 残念ながら私は日本人医師と働いたことがありません。アジアの国での経験は中国に7ヶ月いたときのことで、その時は中国人の医師たちと仕事をしました。もちろん異なる文化の人々と働くと仕事の仕方や病気の見方について異なる意見が出てきます。でも、その違いを上手く対処することは可能で、またそうすることによって様々な意見を交換することが出来ます。自分の意見が絶対で全員がそれに従うべきだ、と考えさえしなければ上手くいくのです。私はアフリカの人々と上手く仕事をしたことがあるのですが、それが日本やアメリカの人々と上手く行かないはずがないのです。

―― 今までに様々な問題に直面してきたと思いますがそれでもなお、人道支援に関わり続けているのは何故ですが?
 
 確かに私は今まで色々と大変なことを経験しましたが、危機的な状況に陥ったことはありません。
 また、人道支援というものはgive and take の関係です。ボランティアをするということは時間や技術を提供しますが得ることも多いのです。信頼してくれたり、歓迎してくれたり。これは個人的な経験と言う意味ではとても重要なことです。これが人道支援を続ける上での潤滑油とでも言うべきものでしょうか。人道支援では多くのことを学べるのです。
 ボランティアとして様々な国へ行くととても素敵な経験をすることができます。観光客として国を回ると見られないことが多くあるんですよ。異なる文化での子供の育て方や、家族のありかたなど間近で見ることが出来るのです。私はだから今はもう「観光」は出来ません。「観光」が良いか悪いかということではなく、20年間人道支援をしてきて得た感覚でしょうね。
 コロンビアのボゴタに行ったときのことです。ボゴタからさらに田舎の方で行われていたミッションを見に行ったのですが、ボゴタから4日間ボートに乗りました。細い川に大きな木々、そしてそこにすむインディアンたち。そこの暮らしは2世紀ほど昔の生活のままで、それを実際に目にすることが出来たのは夢のようでした。素晴らしい経験です。このような経験をアフリカや南米でもしました。初めてチベットに行ったときも素晴らしいものを見ることが出来ました。1985年に行ったのですが、私が着いたその日、初めて中国政府がチベットの正月を祝う許可を出した日だったのです。多くのチベットの人々が嬉しそうに山から降りてきて、お祝いをしていました。色とりどりのお祭りで、トルコ石をつけた女性、幸せそうな表情。信じられない経験でした。人道支援で得るものは本当に大きいんですよ。現場から帰ってくるのが大変です。笑

――どうもありがとうございました。
こちらこそどうもありがとう。

☆☆☆
以上、ミケレッティ氏へのインタビューでした。
とっても気さくな方で、仕事で日本に来たものの、日本の滞在を楽しんでいるようでした。安く土産が買えるデパートはどこ?なんてスタッフに尋ねていました。笑
2009/07/23(Thu) | インタビュー | トラックバック(-) | コメント(0) | page top↑
世界の医療団元会長 ピエール・ミケレッティ氏 インタビュー
先月の25日に行われた報告会に合わせ、世界の医療団の元会長、ピエール・ミケレッティ氏が来日しました。
せっかくの機会なので、私たちインターンもミケレッティ氏にインタビューを申し込んだところ、快く承諾していただけ約30分のインタビューを行うことができました。
今週と来週、2週間続けてインタビュー内容を紹介します。

ミケレッティ氏は人道支援が現在抱えている問題点をまとめた本 “Humanitaire S’adapter ou renoncer” (Editions Marabout)を2008年に出版しています。今回はその本の内容を中心にお話をうかがいました。

―――早速ですが、この本を書こうと思った動機を教えてください。

私は人道支援に20年間ほど関わってきたので、その20年間の経験をみんなと分かち合いたかったからです。そして人道支援の現場で最近深刻化している様々な問題を皆さんに知らせたかったからでもあります。

―――この本で最も伝えたかったことは何ですか。

私たち(人道支援に関わるボランティア)が現場でどの様な問題、危険に面しているかということです。様々な人が人道支援に関わっていますが、人道支援というものがどの様に変化しそしてどの様な危険が現在あるのかという私の個人的な意見を伝えたいと思いました。
人道支援の現場は20年前のものと大きく異なっています。私が人道支援に参加し始めたころ、フィールドはあまり危険ではありませんでした。例えば、私と私の妻は中南米で仕事をしたことがありますが、道ばたで仕事をすることに対して危険を感じることはありませんでした。現在それは殆ど不可能です。政治的な理由、宗教的な理由など理由は様々なのですが、結果は同じです。結果は現場のボランティアにとって危険な状況を生み出すと言うことです。アフガニスタン、コロンビア、タヒチとそれぞれの状況は異なってもその結果は同じ、危険な状況を作り出しているのです。そこでこの本では第一に人道支援の現場が変化していること、第二に何が具体的に変わったのか、そして最後に危険を避けるために何をするべきかという私のアドバイスを書きました。

―――講演会でミケレッティさんは人道支援とメディアは強くつながりを持っているとおっしゃっていましたね。なくてはならない関係であるとも。しかしメディアは人道支援の活動を報道する一方で時には混乱を招くことがあるとも言えます。今後のメディアとの関係はどういったものにすべきですか?

メディアとの関係で最も重要なのは、極力混乱をなくすような報道をして貰うことです。現場では様々な人が様々な活動をしています。例えば人道支援、軍の活動、政府の活動、私的な活動など。これらの様々な活動の内容をメディアは明確にすることができるのです。誰がだれで、何をやっているのか。
例えばアフガニスタンでは内戦があると同時に外国からの軍がいて、また軍として人道支援をしている人々もいます。その他NGOもいる。この状況は多くの混乱を巻き起こします。アフガニスタンの人々は現地にいる外国人に対して「全員外国人であり、同じように仕事をし、同じ考えを持っている」と考え、外国人を同一に見てしまうことがあります。そうすると人道支援に関わっている人に対する危険も増えるのです。

―――そのような危険は20年前には無かったのですか?

もしかしたらありましたが、今より危険ではありませんでした。人道支援とメディアの関係は古くからあります。しかし、世界が変わっているので、人道支援とメディアの関係も変わらなくてはいけません。例えば紛争の中での宗教的対立は、昔はあまり自明ではありませんでした。
また、この40年で最も大きな変化は世界に発信される情報が西欧のメディアからだけではなくなったという点です。アラブやアジアの国から多くの情報が発信されています。ですので、ものの見方が西欧的なものだけではなくなっているのです。例えばフランスでは情報はCNNとアルジャジーラから収集し、それから自分の考えを持て、と言われています。これは全く新しいことなのです。
1967年におきた六日間戦争(第三次中東戦争)時は欧米的な見方しか報道されていませんでした。そのことが問題視されたため、1996年にアルジャジーラが出来たのです。そのため現在私たちはアルジャジーラを見てその視点を知っている人々がいる世界で生活しているわけです。
ですのでMDMは欧米以外のメディアとも関わり、私たちが何をやっているのか、何故その国にいるのかなどを理解してもらおうと努めて勤めています。最近カタールに事務所を置いたオフィスを持ったのもそのためです。

―――この本でミケレッティさんは「人道支援の脱西欧化」ということを書いていますがこれはどういうことですか?

現在大きなNGOの大半が西欧のNGOです。そして大半が西欧のNGOである、ということは様々な問題を引き起こします。例えばイラクなどで活動するNGOが西欧NGOである、ということは少なからず問題になります。そこで、西欧というレッテルが貼られていないNGOが必要であるということです。
また、経済の中心が西欧以外に移ってきたということも指摘しておくべきでしょう。日本や中国、インド、ブラジル、南アフリカなど経済の中心です。そのため人道支援という活動を欧米以外の国でも行う必要があるのです。
人的資源やその他の資源は西欧以外の国に多くあります。人道支援の「色」を変える必要があるのです。そうすることによって、人道支援というものが西洋のもので、西洋の価値観を弁護するものという考えを無くすことが出来るはずです。

来週は日本における人道支援のあり方、ミケレッティ氏の現場への熱い思いなどについてです。

お楽しみに♪

2009/07/15(Wed) | インタビュー | トラックバック(-) | コメント(0) | page top↑
国際協力について思うこと
こんにちは。広報インターンの大西です。
今日はちょっとパーソナルなお話。わたしが世界の医療団に関わるきっかけとなったできごとを書きたいと思います。

わたしはおととしの夏、あるNGOのスタディツアーで10日間ほど、カンボジアを訪れました。
初めて「発展途上国」と呼ばれる国に行ったわたしでしたが、カンボジアの抱える歴史問題や、観光産業の裏にある貧富の格差、ゴミ山で生計を立てる人々の存在や児童売春の問題の深刻さ、現存する地雷のことなどを、見たり聞いたりしてただただ衝撃を受けました。
その一方で、出会う子ども達や学生達、農村のおばあちゃん、市場の売り子さん達の見せてくれたすごく素敵な笑顔に、カンボジアの人々の魅力的な国民性を感じました。
その分、レストランの前でお金が欲しいと手を差し出してくる、どこかうつろな目をした子どもや、危険なゴミ山を裸足で歩く子どもの姿に、もどかしいような思いがしました。
でも、自分はこの国ではお客さんでしかないのだという、どこか距離感をもった問題意識にとどまっていたように思います。

日本に帰ってきた次の日から大学の授業が始まり、バタバタとしているうちにカンボジアの印象が薄れてしまいつつあったそんなある日、わたしはいきなり高熱を出しました。検査の結果、デング熱に感染していました。ワクチンなどはないので対症療法をとるしかありませんでしたが、1週間弱寝込んだだけで無事に回復しました。とはいえ高熱が続いて脱水症状になりかねなかったので、日本に帰ってからで病院にも見てもらえてよかった・・・というのが正直な思いでした。

裏返せば、わたしがもしカンボジアの農村に生まれて、栄養状態や衛生状態の悪い状況でデングに感染していたら、もしかしたら命までも危なかったかもしれない、ということです。
当たり前のことですが、わたしはそこで、他の国の問題が決して他人事だからといって無視できないのだということを本当に実感しました。
そして、自分は日本に生まれたからラッキー、じゃ済まされないということ。
感染症は、すでにグローバルに共用されている問題となっています。例えば地球の温暖化によって、デング熱を媒介する蚊の分布も広がっているという話もありますし、マラリアやHIV/エイズも国境を越えた問題となっています。
でも、グローバルな感染症に限らず、問題なのは、生まれる場所・住む場所が違うことで、治せる病気、防げる病気で命を落とす危険性にこんなにも差があるという事実です。
カンボジアの人々と触れ合い、友達になった今、自分だけが安全な場所で快適な医療を享受しているわけにはいかないなあ、なんて思うのです。
これをきっかけに、わたしは国境を超えた医療協力に興味をもつようになりました。
そしてめぐりめぐって、世界の医療団でインターンをしようと思ったのです。

もちろん、医療だけでなく、教育や社会保障の問題など、いわゆる「発展途上国」が抱える問題はさまざまです。ただ、わたしは文系であるにもかかわらず医療という分野に偶然問題意識を強く感じるようになって、今に至ります。
まだまだ知識不足ではありますが、医療も貧困も他の社会問題も、すべての問題の根っこはつながっているということをいつも感じています。
国際協力、と一口にいってしまうと幅広すぎてなんだかつかみどころがない感じになりますが、どんな分野であれ、自分にとって心にひっかかることを大切にして、できることから始めてみる、ということが大事なのではないかなあ、と思っています。

*カンボジアで撮った写真を少しご紹介します!

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都市から離れ、少し幹線道路から奥に入ると、こんな土の道が延々と続いています。
雨が降った後のぐちゃぐちゃな地面は、車で走るのも一苦労。急病人が出ると、病院に送り届けるのが大変です。

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キリング・フィールドの追悼碑。ポル・ポト政権によって捕えられ、殺された人々の頭蓋骨が数え切れないほど収められています。



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世界遺産アンコール・ワット。圧倒的、との一言につきます。
でも観光地なので、本当に混み合っています。日本語がそこかしこで聞こえました。

2009/07/08(Wed) | 事務局より | トラックバック(-) | コメント(0) | page top↑
講演会「人道支援とは?」報告
6月25日、東京日仏学院にて「人道支援とは?」という講演会を行いました。
パネリストは元会長ピエール・ミケレッティ氏、1996年から毎年継続的にカンボジア、ニジェールなどで活動する形成外科医輿座聰氏、小児科医として2008年にエチオピアに赴任した赤羽桂子氏のボランティア医師3名。

 輿座氏と赤羽氏からはボランティアとしての活動、医療支援の現状、現地での活動の様子など写真などで紹介しながらお話をしていただきました。
 ピエール・ミケレッティ氏からは「人道支援」というものが、重要で大切な活動であるのに関わらず近年批判的に見られるようになった原因とそこから起きる問題についてのお話でした。NGOが多様化する中で起きる混乱と、やはり「NGO」=「欧米的思想を持つもの」という公式からいまだ脱せない状況は「人道支援」活動の妨げになる多くの問題を生み出しています。今後そのような問題を解決していくにはどのような活動が必要なのか。非常に興味深い話だったように思います。

 当日はスタッフも驚くほど大勢の方が来てくださいました。それだけ「人道支援」ということに関心を持っている人がいることは心強いです。より多くの人に「人道支援」とは何か、それが抱える問題は何かを知ってもらい、一緒に考えることで現在「人道支援」が抱える様々な問題の解決の糸口を見つけられたら、なんて思いました。

 元会長のミケレッティ氏は"Humanitaire : s'adapter ou renoncer"(éditions Marabout) という本を 2008年に出版しています。まだ日本語版はまだありませんがフランス語読める方にはおすすめです。
http://www.amazon.fr/Humanitaire-sadapter-renoncer-Pierre-Micheletti/dp/2501058127

2009/07/02(Thu) | イベント | トラックバック(-) | コメント(0) | page top↑
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